書き言葉は標準語だけどつっこんじゃいやん
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今度は橋下知事が女子高生を泣かせたみたいです。
もうすでにいろんなところに記事が出ていますが、FNNニュースの記事が一番詳細に記されてるようです。動画でも見れるし。
前回書いた「大人はどこまで子供に責任を持たなければならないのか?」で書いたことにも大きく関連するんですけど、成人する前から子供にも徐々に責任や義務はのしかかってきます、その見返りとして権利や自由を獲得してるわけです。無償で得られるものなんてございません。
しかし、過去の自分を振り返ってみても、子供にはその自覚は無く、大人も十分にこの大切なことを教え切れてはいません。そこに生じる隔たりが今回の知事と高校生の意見交換会に凝縮されているように思います。
すでに社会人というポジションにどっぷり浸かってしまってる今の自分にしてみれば、知事が高校生に向けた反論は紛れも無い正論であり、もっと家庭や地域や学校で自然と教育されて身につけておかなければならない認識だと思います。
そんな現実を突きつけられてしまった高校生には酷い話に聞こえるかもしれませんが、義務教育を終えた彼らはすでにその現実の中に足を踏み入れてしまってるのも真実です。
私立しか選択肢が無かった。
でも家庭は裕福ではない。
そんな窮状を訴え、政治の責任として助成削減に反対する彼らでさえ、入試の際に誰かを蹴落として「高校生」という地位を自力で獲得しているわけですから、いくら泣いても喚いても今の自分の立ち位置に責任と自覚を持つべきです。
「子ども扱いはしない」
この知事の言葉に今は恨みつらみの感情しかわいてこないかもしれませんが、いつまでも甘えてばかりはいられない年齢に達していることを心のどこかにでも自覚として芽生えさせることができたのなら、彼らはきっと立派な大人としてこの国の将来を支えてくれる人物に育ってくれると信じています。
「勉強せなあかん。負けてたらあかんで。悔しいからな、勉強していろんなこと知らなきゃあかん」
こういった言葉が彼らの口から出てきたことに、未来への希望を感じられるような気がします。
もうすでにいろんなところに記事が出ていますが、FNNニュースの記事が一番詳細に記されてるようです。動画でも見れるし。
前回書いた「大人はどこまで子供に責任を持たなければならないのか?」で書いたことにも大きく関連するんですけど、成人する前から子供にも徐々に責任や義務はのしかかってきます、その見返りとして権利や自由を獲得してるわけです。無償で得られるものなんてございません。
しかし、過去の自分を振り返ってみても、子供にはその自覚は無く、大人も十分にこの大切なことを教え切れてはいません。そこに生じる隔たりが今回の知事と高校生の意見交換会に凝縮されているように思います。
すでに社会人というポジションにどっぷり浸かってしまってる今の自分にしてみれば、知事が高校生に向けた反論は紛れも無い正論であり、もっと家庭や地域や学校で自然と教育されて身につけておかなければならない認識だと思います。
そんな現実を突きつけられてしまった高校生には酷い話に聞こえるかもしれませんが、義務教育を終えた彼らはすでにその現実の中に足を踏み入れてしまってるのも真実です。
私立しか選択肢が無かった。
でも家庭は裕福ではない。
そんな窮状を訴え、政治の責任として助成削減に反対する彼らでさえ、入試の際に誰かを蹴落として「高校生」という地位を自力で獲得しているわけですから、いくら泣いても喚いても今の自分の立ち位置に責任と自覚を持つべきです。
「子ども扱いはしない」
この知事の言葉に今は恨みつらみの感情しかわいてこないかもしれませんが、いつまでも甘えてばかりはいられない年齢に達していることを心のどこかにでも自覚として芽生えさせることができたのなら、彼らはきっと立派な大人としてこの国の将来を支えてくれる人物に育ってくれると信じています。
「勉強せなあかん。負けてたらあかんで。悔しいからな、勉強していろんなこと知らなきゃあかん」
こういった言葉が彼らの口から出てきたことに、未来への希望を感じられるような気がします。
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無題
トラックバックありがとうございました……なんですよね?
いまいちトラックバックシステムを理解していないのですがw
>もうすでにいろんなところに記事が出ていますが、
>FNNニュースの記事が一番詳細に記されてるようです。動画でも見れるし。
寝不足だと情報収集がおろそかになっていけませんね。
こんなに良いソース記事を見逃しておりました。
>こういった言葉が彼らの口から出てきたことに、
>未来への希望を感じられるような気がします。
まさしくその通りだと思います。
いまいちトラックバックシステムを理解していないのですがw
>もうすでにいろんなところに記事が出ていますが、
>FNNニュースの記事が一番詳細に記されてるようです。動画でも見れるし。
寝不足だと情報収集がおろそかになっていけませんね。
こんなに良いソース記事を見逃しておりました。
>こういった言葉が彼らの口から出てきたことに、
>未来への希望を感じられるような気がします。
まさしくその通りだと思います。
コメントありがとうございます
niconicohoさん、コメントありがとうございます。
> いまいちトラックバックシステムを理解していないのですがw
実は私もよく理解してませんが・・・通例ではそんな感じでよいようです(笑)
私の場合ずぼらなもんでいただいたトラックバックの御礼はしてないんですがね(ぉぃ)
ニュース記事はどうしても事実のダイジェストになってしまうので、記者の思想信条によって情報の質が変わってしまいますよね。
ですのでニュースを基にブログを書くときはできるだけ多くの記事に目を通すようにしています。
逆にそのニュースに関してのブログは自分が書き終わるまでは極力読まないようにしています。
やはり高校生では未熟な感は否めませんが、考える力は大人が思ってる以上に持っているように思います。これは非常に頼もしいことだと素直にうれしく思います。
橋下知事の方も「相手は子供なんだから」と誤魔化しも逃げもせず正面から真摯に答えていたのはすばらしい姿勢だと思います。
このように真剣に渡り合える大人と出会える機会というのは今の時代では貴重ですからね。高校生にとっても貴重な時間となったことだと思います。
> いまいちトラックバックシステムを理解していないのですがw
実は私もよく理解してませんが・・・通例ではそんな感じでよいようです(笑)
私の場合ずぼらなもんでいただいたトラックバックの御礼はしてないんですがね(ぉぃ)
ニュース記事はどうしても事実のダイジェストになってしまうので、記者の思想信条によって情報の質が変わってしまいますよね。
ですのでニュースを基にブログを書くときはできるだけ多くの記事に目を通すようにしています。
逆にそのニュースに関してのブログは自分が書き終わるまでは極力読まないようにしています。
やはり高校生では未熟な感は否めませんが、考える力は大人が思ってる以上に持っているように思います。これは非常に頼もしいことだと素直にうれしく思います。
橋下知事の方も「相手は子供なんだから」と誤魔化しも逃げもせず正面から真摯に答えていたのはすばらしい姿勢だと思います。
このように真剣に渡り合える大人と出会える機会というのは今の時代では貴重ですからね。高校生にとっても貴重な時間となったことだと思います。
橋下大阪府知事を応援しています。
トラックバックをしていただき訪問しました。
朝日新聞のようにマスコミはポピュリズムから反応を予測して、すぐ子供を泣かせたから悪い的な批判をするが本質を正しく見る目が必要と思います。
橋下知事は真摯に高校生に対応し子供達に何かを感じるきっかけを作った様に、知事就任以来一貫して同じスタンスで真剣に府政に取り組む姿勢に共感しています。
二期、府知事を務めれば国に大きなインパクトになるし,他都道府県に好影響を与えると思う。
その後国政に転じれば日本を変えていくきっかけになると期待しています。
>知事が高校生に向けた反論は紛れも無い正論であり、もっと家庭や地域や学校で自然と教育されて身につけておかなければならない認識
朝日新聞のようにマスコミはポピュリズムから反応を予測して、すぐ子供を泣かせたから悪い的な批判をするが本質を正しく見る目が必要と思います。
橋下知事は真摯に高校生に対応し子供達に何かを感じるきっかけを作った様に、知事就任以来一貫して同じスタンスで真剣に府政に取り組む姿勢に共感しています。
二期、府知事を務めれば国に大きなインパクトになるし,他都道府県に好影響を与えると思う。
その後国政に転じれば日本を変えていくきっかけになると期待しています。
>知事が高校生に向けた反論は紛れも無い正論であり、もっと家庭や地域や学校で自然と教育されて身につけておかなければならない認識
コメントありがとうございます
Mugenさん、のびぃ太さん、コメントありがとうございます。
私も橋下知事の理念に共感するところは多くあります。しかしただ心酔するのではなくて批判的な意見にもきちんと目を通して、無思慮に傾倒していかないように自分を戒めています。知事自身も批判・議論は歓迎する立場ですから、そういう点でも共感するんですけどね(笑)
今回の討論会には、ひとつは知事から高校生への教育的側面があったと思います。社会は自己責任を原則に成り立っているということ。社会を変えたければ勉強する必要があるということ。中途半端に懐柔したりせず真っ向から現実を突きつけられる大人は立派な教師だと思います。こんな大人は他ではドラマの中ぐらいでしか見れなくなってきましたね。金八先生とか(笑)
ふたつめに子供を教育する立場である人々へのメッセージも十分にあったのではないかと思いました。親、教師、文科省。しかたのないことかもしれませんが、議論を聞いていると高校生側の意見というのはまだまだ幼稚です。しかし社会への批判や注文を表現できるようになった世代がこの程度の討論力でいいのか?という懸念があります。
教育とは科目の中に収められた内容だけでなく、それ以外にももっと大切な「生きた教育」が必要だということが文科省だけではなく、現場(家庭、地域、学校)に伝わり、危機感を持つことが教育改革にも繋がるような気がします。
> その後国政に転じれば日本を変えていくきっかけになると期待しています。
ただの国会議員では「その他大勢」の中に埋没してしまうような気がします。たとえば大統領制による直接選挙でいきなりトップに立つとか(キムタクのドラマのように)新人がいきなり総理就任というミラクルがおきるか。橋下さんの持ち味はそういうポジションでしか発揮できないような気がします。
余談:
このニュースに関するブログをたくさん見てきましたが、一部には高校生への心無い揶揄・中傷が書かれた記事もありました。そういった形で高校生を攻撃するのは、このニュースがもつ本質を理解し切れていないんじゃないかと思いますね。
「マスゴミ」とメディアを揶揄する表現がありますが(私はこの言い方は嫌いです)、今回の件で高校生を中傷している記事を見るとマスゴミはおろか、あの場にいた高校生にも満たない未熟な意見だと思ってしまいます。そう思いながらトラックバック飛ばしたりしてますが(笑)
私も橋下知事の理念に共感するところは多くあります。しかしただ心酔するのではなくて批判的な意見にもきちんと目を通して、無思慮に傾倒していかないように自分を戒めています。知事自身も批判・議論は歓迎する立場ですから、そういう点でも共感するんですけどね(笑)
今回の討論会には、ひとつは知事から高校生への教育的側面があったと思います。社会は自己責任を原則に成り立っているということ。社会を変えたければ勉強する必要があるということ。中途半端に懐柔したりせず真っ向から現実を突きつけられる大人は立派な教師だと思います。こんな大人は他ではドラマの中ぐらいでしか見れなくなってきましたね。金八先生とか(笑)
ふたつめに子供を教育する立場である人々へのメッセージも十分にあったのではないかと思いました。親、教師、文科省。しかたのないことかもしれませんが、議論を聞いていると高校生側の意見というのはまだまだ幼稚です。しかし社会への批判や注文を表現できるようになった世代がこの程度の討論力でいいのか?という懸念があります。
教育とは科目の中に収められた内容だけでなく、それ以外にももっと大切な「生きた教育」が必要だということが文科省だけではなく、現場(家庭、地域、学校)に伝わり、危機感を持つことが教育改革にも繋がるような気がします。
> その後国政に転じれば日本を変えていくきっかけになると期待しています。
ただの国会議員では「その他大勢」の中に埋没してしまうような気がします。たとえば大統領制による直接選挙でいきなりトップに立つとか(キムタクのドラマのように)新人がいきなり総理就任というミラクルがおきるか。橋下さんの持ち味はそういうポジションでしか発揮できないような気がします。
余談:
このニュースに関するブログをたくさん見てきましたが、一部には高校生への心無い揶揄・中傷が書かれた記事もありました。そういった形で高校生を攻撃するのは、このニュースがもつ本質を理解し切れていないんじゃないかと思いますね。
「マスゴミ」とメディアを揶揄する表現がありますが(私はこの言い方は嫌いです)、今回の件で高校生を中傷している記事を見るとマスゴミはおろか、あの場にいた高校生にも満たない未熟な意見だと思ってしまいます。そう思いながらトラックバック飛ばしたりしてますが(笑)
橋下知事の言動は政治家としては最低でしょう
トラバ有り難うございます。
出来たら、コメも頂きたかったのですが(^^;)
さて、貴君のご意見拝見致しました。
全体的に言いたい事は分かるのですが、あまりにも現実離れした論理だと思われます。
実際、橋下知事の言うように、義務教育を出たら社会構成員の一人として自己責任で全てを行わなくてはならないなら、選挙権も含め社会的な体制も確立していなくてはならないはずです。
また最後の「生活保護」の下りに至っては、その様な人間を作らないようにするのが政治の役割の一つであると思っています。
生存競争は自己責任で、それに敗れたら我々の税金を使って生活保護を受けさせればいいと行った考えは、政治家としては最低な考えだと思っています。
つまり、橋下知事の言動はタダの暴論であって何ら正当性はないと思っています。
もし、主様が私のご意見に反論があるようでしたら、ご自由においで下さって書き込まれるのも良いでしょうし、私がお邪魔しても良いと思います。
取り敢えずは、ご挨拶まで。
出来たら、コメも頂きたかったのですが(^^;)
さて、貴君のご意見拝見致しました。
全体的に言いたい事は分かるのですが、あまりにも現実離れした論理だと思われます。
実際、橋下知事の言うように、義務教育を出たら社会構成員の一人として自己責任で全てを行わなくてはならないなら、選挙権も含め社会的な体制も確立していなくてはならないはずです。
また最後の「生活保護」の下りに至っては、その様な人間を作らないようにするのが政治の役割の一つであると思っています。
生存競争は自己責任で、それに敗れたら我々の税金を使って生活保護を受けさせればいいと行った考えは、政治家としては最低な考えだと思っています。
つまり、橋下知事の言動はタダの暴論であって何ら正当性はないと思っています。
もし、主様が私のご意見に反論があるようでしたら、ご自由においで下さって書き込まれるのも良いでしょうし、私がお邪魔しても良いと思います。
取り敢えずは、ご挨拶まで。
コメントありがとうございます
諷太郎さん、コメントありがとうございます。
ひとつの議論で発言場所が言ったり来たりでは私たちにとっても、読んでくださる方にもややこしくなると思うのでこの場での反論になることをご了承いただければと思います。
さて本題ですが、橋下知事発言の解釈が双方で食い違っているようですね。本文中でもリンクしていますが、現時点でもっとも詳細に討論会の内容が記述されていると思われるFNNニュースの記事を今一度ご精読いただきたく思います。
知事の発言で「皆さんが完全に保護されるのは義務教育まで。」とあるように、国民の三大義務のひとつである“教育を受けさせる義務”により保護が「完全」であるのが中学卒業までということであり、諷太郎さんの主張にある「自己責任で全てを行わなくてはならない」という主旨は知事の発言には含まれていないと思います。
また私も本文で書いていますが、子供の権利の獲得とそれに相対して進む責任の負荷は成人までに徐々に段階的に進むものであり、選挙権を獲得する成人までは完全に保護されるといった旨の考えは持っておりません。この点は知事も同様の考えであると今回の発言からも推察できるものと思います。
また「生活保護」について知事は「最後を救うところ」といういわゆるセーフティネットを配備しておくのが行政の役割と位置づけているのであって、そこまで落ちないようにするのは府民(国民)一人ひとりの努力と責任によって実現するべきものだと思います。
諷太郎さんの仰るように生活保護を受けないようにする過程までを行政の責として“すべて”負わせるのならばそれは共産主義と同じことではないでしょうか?言うまでもなくこの国の、そして大阪府による社会保障や福祉整備を見ても脱落しないように手助けする手立ては何重にも張り巡らされており、100%を国民や府民の自主努力に任せようとはしていません。そういう手助けを借りながらも基本的には自主努力による自由競争の勝ちあがりを目指すことが「自立」だと思います。
> 生存競争は自己責任で、それに敗れたら我々の税金を使って生活保護を受けさせればいいと行った考え
たった一つや二つの競争に敗れたからといってすべての努力を放棄して行政に甘えてよいと言うことでしょうか?そのような考えは知事のどの発言から読み取れるのでしょうか?
生活保護は次の自立するまでの助けであって、生活保護を受け始めたからもう努力しなくてもよい、税金で死ぬまで養ってあげる、という制度ではないはずだということはご理解していらっしゃることと思います。知事の発言は最後の最後には生活保護があるよと言っているだけであって、競争に敗れたらもう競争に参加しなくてもいいなどという趣旨の発言があったとは読み取れません。
諷太郎さんのご意見を拝聴していると、知事の発言の一つ一つを「0」か「100」の極論で解釈しておられる印象を受けます。なにごとにも程度や段階というものがあることをもう少し意識して、知事に対する否定的な前提のない目で今一度各記事を精読されることをおすすめします。
ひとつの議論で発言場所が言ったり来たりでは私たちにとっても、読んでくださる方にもややこしくなると思うのでこの場での反論になることをご了承いただければと思います。
さて本題ですが、橋下知事発言の解釈が双方で食い違っているようですね。本文中でもリンクしていますが、現時点でもっとも詳細に討論会の内容が記述されていると思われるFNNニュースの記事を今一度ご精読いただきたく思います。
知事の発言で「皆さんが完全に保護されるのは義務教育まで。」とあるように、国民の三大義務のひとつである“教育を受けさせる義務”により保護が「完全」であるのが中学卒業までということであり、諷太郎さんの主張にある「自己責任で全てを行わなくてはならない」という主旨は知事の発言には含まれていないと思います。
また私も本文で書いていますが、子供の権利の獲得とそれに相対して進む責任の負荷は成人までに徐々に段階的に進むものであり、選挙権を獲得する成人までは完全に保護されるといった旨の考えは持っておりません。この点は知事も同様の考えであると今回の発言からも推察できるものと思います。
また「生活保護」について知事は「最後を救うところ」といういわゆるセーフティネットを配備しておくのが行政の役割と位置づけているのであって、そこまで落ちないようにするのは府民(国民)一人ひとりの努力と責任によって実現するべきものだと思います。
諷太郎さんの仰るように生活保護を受けないようにする過程までを行政の責として“すべて”負わせるのならばそれは共産主義と同じことではないでしょうか?言うまでもなくこの国の、そして大阪府による社会保障や福祉整備を見ても脱落しないように手助けする手立ては何重にも張り巡らされており、100%を国民や府民の自主努力に任せようとはしていません。そういう手助けを借りながらも基本的には自主努力による自由競争の勝ちあがりを目指すことが「自立」だと思います。
> 生存競争は自己責任で、それに敗れたら我々の税金を使って生活保護を受けさせればいいと行った考え
たった一つや二つの競争に敗れたからといってすべての努力を放棄して行政に甘えてよいと言うことでしょうか?そのような考えは知事のどの発言から読み取れるのでしょうか?
生活保護は次の自立するまでの助けであって、生活保護を受け始めたからもう努力しなくてもよい、税金で死ぬまで養ってあげる、という制度ではないはずだということはご理解していらっしゃることと思います。知事の発言は最後の最後には生活保護があるよと言っているだけであって、競争に敗れたらもう競争に参加しなくてもいいなどという趣旨の発言があったとは読み取れません。
諷太郎さんのご意見を拝聴していると、知事の発言の一つ一つを「0」か「100」の極論で解釈しておられる印象を受けます。なにごとにも程度や段階というものがあることをもう少し意識して、知事に対する否定的な前提のない目で今一度各記事を精読されることをおすすめします。
お返事有り難うございます
早速のお返事有り難うごっざいます。
さてFNNのニュースですが、たまたま私自身直接見ておりました。その時、思った事を自分のブログに書き込んだわけでありまして、単に「女子学生を泣かせた」事に反応したわけでは有りません(いや、反応してるかも…笑)。
さて、本題に入ります。
>“教育を受けさせる義務”により保護が「完全」であるのが中学卒業までということであり、諷太郎さんの主張にある「自己責任で全てを行わなくてはならない」という主旨は知事の発言には含まれていないと思います。
↑ の件ですが、橋下知事は「そうでない」とも発言しておりません。
逆に『「単なる子どもたちのたわ言みたいにならないように…』と知事が発言している部分や、『「皆さんが完全に保護されるのは義務教育まで。高校になったらもう、そこから壁が始まってくる。大学になったらもう定員。社会人になっても定員。』などの発言から鑑みても、『自己責任』の部分を高校生まで適応しようとしているように思われます。
>また私も本文で書いていますが、子供の権利の獲得とそれに相対して進む責任の負荷は~この点は知事も同様の考えであると今回の発言からも推察できるものと思います。
↑ 主様のご意見としては充分理解出来ますし、私自身も同様の考えを持っております。
しかし「知事も同様の考え~推察…」については、上記同様知事自身の口からは何ら発言もなく、逆に「なぜ公立を選ばなかったんだ」というように、生徒自身の進路選択を否定するような発言をしています。
主様や私の思っているように「徐々に段階的に」なら、私学助成も十分範疇として考えられるのではないでしょうか。
特に主様はご存じかどうか分からないのですが、大阪府での高校進学希望率と受け入れ率、私学進学率と公立進学率は30年以上前から、公然の事として府で比率を決めてきました。
その事により大阪府は教育関係への支出を押さえてきたという現実があります。
景気の良い時には私学に生徒を押しつけ、景気が悪くなると私学の助成を減らす事により生徒に負担をかける事が、生徒に自覚を促す事になるのでしょうか?
それこそ大人の都合であり、その都合を平気で生徒に押しつける橋下知事の感覚は到底理解出来るものではありません。
ましてや人間には必ず能力差が有ります。
にもかかわらず、橋下知事の問いかけは『何故公立に行かないのか?』だけでした。
高校卒業しなくては選べる職種は限られている事を主様もご存じだろうと思いますが、真面目に努力しても学力の低い子は多くいます。その子達を救ってきたのは私学である事すら考慮成されていません。
私学の持つ役割を、全く考えずに『何故公立に行かないのか?』だけを言い続ける橋下知事には、今の子供達をどのような社会人にすべきかと行ったビジョンは見えないのです。
さらに財政の話しや道路の話しについての質問に対しては『じゃあ、あなたが政治家になってそういう活動をやってください』などと言った事は、質問の意図すら理解出来ていないようにしか見えないのですが、主様がこの様な返答を受けた場合は、それで納得出来るのでしょうか?
コレで理解できることは『権力を握ったら、何でも有り』と言った事だけでしょう。
まあ少なくとも調べた限りでは、必要のない道路の財源を使えば私学助成も出来ます。
最後に生活保護の件ですが、主様の言われるように私は「0」か「100」の極論っぽく書いてますね(苦笑)
自身のブログでもそのスタイルを通しているので、ついここでも書いてしまいましたが、当然その様には考えていません(申し訳有りません)。
そこに至るまでの過程は、生活保護を受ける者の努力無しではあり得るわけはないと思っています。
ただここで言いたかったものは、高校生の質問に対しての知事の答えがコレで良いのかと言う事です。
少なくとも橋下知事は、誰にもかかわらず自身を批判する相手に対しては攻撃的な対応しかしない事に品格を感じていないだけなのです。
本当に子供の教育を考えるのなら、真っ当に筋道を立てて答え、それこそ「くそ」教育委員会を指導すれば良いのではないでしょうか。
さてFNNのニュースですが、たまたま私自身直接見ておりました。その時、思った事を自分のブログに書き込んだわけでありまして、単に「女子学生を泣かせた」事に反応したわけでは有りません(いや、反応してるかも…笑)。
さて、本題に入ります。
>“教育を受けさせる義務”により保護が「完全」であるのが中学卒業までということであり、諷太郎さんの主張にある「自己責任で全てを行わなくてはならない」という主旨は知事の発言には含まれていないと思います。
↑ の件ですが、橋下知事は「そうでない」とも発言しておりません。
逆に『「単なる子どもたちのたわ言みたいにならないように…』と知事が発言している部分や、『「皆さんが完全に保護されるのは義務教育まで。高校になったらもう、そこから壁が始まってくる。大学になったらもう定員。社会人になっても定員。』などの発言から鑑みても、『自己責任』の部分を高校生まで適応しようとしているように思われます。
>また私も本文で書いていますが、子供の権利の獲得とそれに相対して進む責任の負荷は~この点は知事も同様の考えであると今回の発言からも推察できるものと思います。
↑ 主様のご意見としては充分理解出来ますし、私自身も同様の考えを持っております。
しかし「知事も同様の考え~推察…」については、上記同様知事自身の口からは何ら発言もなく、逆に「なぜ公立を選ばなかったんだ」というように、生徒自身の進路選択を否定するような発言をしています。
主様や私の思っているように「徐々に段階的に」なら、私学助成も十分範疇として考えられるのではないでしょうか。
特に主様はご存じかどうか分からないのですが、大阪府での高校進学希望率と受け入れ率、私学進学率と公立進学率は30年以上前から、公然の事として府で比率を決めてきました。
その事により大阪府は教育関係への支出を押さえてきたという現実があります。
景気の良い時には私学に生徒を押しつけ、景気が悪くなると私学の助成を減らす事により生徒に負担をかける事が、生徒に自覚を促す事になるのでしょうか?
それこそ大人の都合であり、その都合を平気で生徒に押しつける橋下知事の感覚は到底理解出来るものではありません。
ましてや人間には必ず能力差が有ります。
にもかかわらず、橋下知事の問いかけは『何故公立に行かないのか?』だけでした。
高校卒業しなくては選べる職種は限られている事を主様もご存じだろうと思いますが、真面目に努力しても学力の低い子は多くいます。その子達を救ってきたのは私学である事すら考慮成されていません。
私学の持つ役割を、全く考えずに『何故公立に行かないのか?』だけを言い続ける橋下知事には、今の子供達をどのような社会人にすべきかと行ったビジョンは見えないのです。
さらに財政の話しや道路の話しについての質問に対しては『じゃあ、あなたが政治家になってそういう活動をやってください』などと言った事は、質問の意図すら理解出来ていないようにしか見えないのですが、主様がこの様な返答を受けた場合は、それで納得出来るのでしょうか?
コレで理解できることは『権力を握ったら、何でも有り』と言った事だけでしょう。
まあ少なくとも調べた限りでは、必要のない道路の財源を使えば私学助成も出来ます。
最後に生活保護の件ですが、主様の言われるように私は「0」か「100」の極論っぽく書いてますね(苦笑)
自身のブログでもそのスタイルを通しているので、ついここでも書いてしまいましたが、当然その様には考えていません(申し訳有りません)。
そこに至るまでの過程は、生活保護を受ける者の努力無しではあり得るわけはないと思っています。
ただここで言いたかったものは、高校生の質問に対しての知事の答えがコレで良いのかと言う事です。
少なくとも橋下知事は、誰にもかかわらず自身を批判する相手に対しては攻撃的な対応しかしない事に品格を感じていないだけなのです。
本当に子供の教育を考えるのなら、真っ当に筋道を立てて答え、それこそ「くそ」教育委員会を指導すれば良いのではないでしょうか。
諷太郎さんへの再反論
再反論です。
総じて知事が発言で触れなかった部分を他の文脈との関連性を度外視して悪意にかつ断定的に解釈しておられる印象を受けます。逆に私は善意に解釈していると感じられるかもしれませんが、その点は私は常識的な範疇の中で前後の文脈も合わせて「推察」にとどめているように心がけているつもりです。
繰り返しになりますが、高校生が負わねばならない自己責任というのは存在すると考えます。先の私の反論は、その前にある諷太郎さんの「自己責任で全てを行わなくては」の「全て」の部分に対してそうではないと言っているまでであって、自己で責任を負う部分とそうではない部分が混在するということが私の発言の趣旨になります。
たとえば「どの高校に進学するのか?」さらには「進学か?就職か?」という人生の選択の部分においては、義務教育を終える子供の自由意志であり自己責任の部分でもあります。自分で選んだ学校に入るには入試という競争があり、それを勝ち抜かなければなりません。入試のために試験勉強をするのは当の本人であり、その結果について責任を負うのは当然のことです。行政がこの自己責任を否定するのであれば高校入試制度を廃止して義務教育化せねばなりません。
一方で入学金や授業料などの資金面については保護者や奨学金制度の援助があります。さらには公立であれば学費はグッと安くなりますし、私立でも学費援助が全廃されたわけではありません。この部分は子供に「全て」を負わせていない根拠となります。
そして大事なのは、公立と私立の公的援助の違い(学費の違い)を理解している上で子供たちは自分の進路を選択しているということです。進学後に私立の方が学費がかかると初めて知るようなだまし討ちはありません。その上でみんなが横一線に入試という競争に挑んでいるんです。その結果、第2志望や第3志望の学校に妥協したり進学すらできない子供がいるのはしかたのないことです。その全てをすくい上げるのであれば、やはり高等学校を義務教育化するしかないのですから。
それが知事の「義務教育を出たら~」という発言に繋がるのではないでしょうか?競争と知った上で挑んだ戦いに敗れたからといって即、行政の手で勝者側に組み入れてくれ、勝者と同じ待遇にしてくれ、という主張が通るのではあまりにも甘すぎます。
景気の話も出ましたが、景気というのは大人の都合ではありません。だから景気の良し悪しは大人も子供も区別なく影響します。景気が悪くなってお父さんの給料が下がればその家庭の子供は食事の質も量も落ち、買い与えてもらうものも減ります。その逆も然りです。行政のサービスだって同じこと。子供だけに我慢させて大人だけが甘い汁を吸っているわけではありません。この辺を感情論で混同されては困ります。
また努力がいくら真面目でも競争には結果が伴わなければいけません。無事高校に進学しても早ければ3年後には社会人です。子供たちが飛び出す社会というのは努力の中身だけで評価してもらえるようなものではないことは諷太郎さんもご存知のはず。
果たしてどこまで綺麗事で子供に夢を与えなければいけないのでしょうか?夢だけ見せられた子供をいきなり過酷な野に放つ方がよっぽど残酷ではありませんか?狩りの仕方を親から教わらなかったライオンの子は無事生き残れるのでしょうか?
知事が討論会で高校生たちに突きつけたのは紛れもない現実です。そして彼らはもうその現実を理解し始めねばならない年齢だと考えます。努力の実らない子供をすくい上げるているという私学の役割は理解しますが、だからと言ってそれを行政が全力で支援しなければならないのは文字通り「義務教育」までで、それ以上の子供にまで手を差し伸べるのは単なる過保護です。実らない努力があることも、個人の能力に差があることも、高校生に相当する年齢になれば現実として受け入れなければなりません。
大人への準備を始める子供たちに自覚を促すのは現実に即した教育です。16歳にもなって「子供だから」と大人から現実を覆い隠されたままにするのが本当によい教育なのか?それを良しとしないというのが橋下知事の答えであり、『「単なる子どもたちのたわ言みたいにならないように…』という姿勢に現れたのだと思います。
最後に「じゃあ、あなたが政治家になって~」の部分ですが、その元になる高校生の発言内容はお金のやりくりについてのいわば財政政策の提案に対してのものでした。何が重要でどこにどれだけお金を配分するか?の議論をするに当たって高校生の主張は成熟した内容だったでしょうか?
私学助成削減の撤廃を申し入れることが今回の討論会の本題だったはずです。その立場から窮状を訴えるまでは別に問題はないでしょうが、自分のほしい部分に財源を充てるために別の部分を不要だとか優先度が低いと決め付ける過程があまりにもお粗末ではありませんか。踏み込んだ話をするにはあまりにも幼稚な主張で、とるに足らない話だと門前払いをしたんだと思います。
またこれは本文ではあえて触れませんでしたが、彼ら「大阪の高校生に笑顔を下さいの会」のバックボーンになっている、とある「大人たち」の組織の政治的主義主張と重なる部分があることに対する、知事なりの含蓄だったのかもしれません。
何はともあれ、政治に注文を出すにはある程度政治に関する知識が必要なわけで、思いつきだけでいい加減なことを言っても何も変えられない。だからこそ自分の住みよい国を作るには勉強というのが不可欠なんだよ。そういうメッセージがあるようにも感じます。確かにこの部分についてはもっと別の言い方があったかも?とは思いますが、とるに足らない話を門前払いするという基本姿勢は受け入れられます。
この対応が討論終了後の「勉強せなあかん」という彼らの意欲に繋がったのだとすれば、あながち悪い対応ではなかったと感じました
総じて知事が発言で触れなかった部分を他の文脈との関連性を度外視して悪意にかつ断定的に解釈しておられる印象を受けます。逆に私は善意に解釈していると感じられるかもしれませんが、その点は私は常識的な範疇の中で前後の文脈も合わせて「推察」にとどめているように心がけているつもりです。
繰り返しになりますが、高校生が負わねばならない自己責任というのは存在すると考えます。先の私の反論は、その前にある諷太郎さんの「自己責任で全てを行わなくては」の「全て」の部分に対してそうではないと言っているまでであって、自己で責任を負う部分とそうではない部分が混在するということが私の発言の趣旨になります。
たとえば「どの高校に進学するのか?」さらには「進学か?就職か?」という人生の選択の部分においては、義務教育を終える子供の自由意志であり自己責任の部分でもあります。自分で選んだ学校に入るには入試という競争があり、それを勝ち抜かなければなりません。入試のために試験勉強をするのは当の本人であり、その結果について責任を負うのは当然のことです。行政がこの自己責任を否定するのであれば高校入試制度を廃止して義務教育化せねばなりません。
一方で入学金や授業料などの資金面については保護者や奨学金制度の援助があります。さらには公立であれば学費はグッと安くなりますし、私立でも学費援助が全廃されたわけではありません。この部分は子供に「全て」を負わせていない根拠となります。
そして大事なのは、公立と私立の公的援助の違い(学費の違い)を理解している上で子供たちは自分の進路を選択しているということです。進学後に私立の方が学費がかかると初めて知るようなだまし討ちはありません。その上でみんなが横一線に入試という競争に挑んでいるんです。その結果、第2志望や第3志望の学校に妥協したり進学すらできない子供がいるのはしかたのないことです。その全てをすくい上げるのであれば、やはり高等学校を義務教育化するしかないのですから。
それが知事の「義務教育を出たら~」という発言に繋がるのではないでしょうか?競争と知った上で挑んだ戦いに敗れたからといって即、行政の手で勝者側に組み入れてくれ、勝者と同じ待遇にしてくれ、という主張が通るのではあまりにも甘すぎます。
景気の話も出ましたが、景気というのは大人の都合ではありません。だから景気の良し悪しは大人も子供も区別なく影響します。景気が悪くなってお父さんの給料が下がればその家庭の子供は食事の質も量も落ち、買い与えてもらうものも減ります。その逆も然りです。行政のサービスだって同じこと。子供だけに我慢させて大人だけが甘い汁を吸っているわけではありません。この辺を感情論で混同されては困ります。
また努力がいくら真面目でも競争には結果が伴わなければいけません。無事高校に進学しても早ければ3年後には社会人です。子供たちが飛び出す社会というのは努力の中身だけで評価してもらえるようなものではないことは諷太郎さんもご存知のはず。
果たしてどこまで綺麗事で子供に夢を与えなければいけないのでしょうか?夢だけ見せられた子供をいきなり過酷な野に放つ方がよっぽど残酷ではありませんか?狩りの仕方を親から教わらなかったライオンの子は無事生き残れるのでしょうか?
知事が討論会で高校生たちに突きつけたのは紛れもない現実です。そして彼らはもうその現実を理解し始めねばならない年齢だと考えます。努力の実らない子供をすくい上げるているという私学の役割は理解しますが、だからと言ってそれを行政が全力で支援しなければならないのは文字通り「義務教育」までで、それ以上の子供にまで手を差し伸べるのは単なる過保護です。実らない努力があることも、個人の能力に差があることも、高校生に相当する年齢になれば現実として受け入れなければなりません。
大人への準備を始める子供たちに自覚を促すのは現実に即した教育です。16歳にもなって「子供だから」と大人から現実を覆い隠されたままにするのが本当によい教育なのか?それを良しとしないというのが橋下知事の答えであり、『「単なる子どもたちのたわ言みたいにならないように…』という姿勢に現れたのだと思います。
最後に「じゃあ、あなたが政治家になって~」の部分ですが、その元になる高校生の発言内容はお金のやりくりについてのいわば財政政策の提案に対してのものでした。何が重要でどこにどれだけお金を配分するか?の議論をするに当たって高校生の主張は成熟した内容だったでしょうか?
私学助成削減の撤廃を申し入れることが今回の討論会の本題だったはずです。その立場から窮状を訴えるまでは別に問題はないでしょうが、自分のほしい部分に財源を充てるために別の部分を不要だとか優先度が低いと決め付ける過程があまりにもお粗末ではありませんか。踏み込んだ話をするにはあまりにも幼稚な主張で、とるに足らない話だと門前払いをしたんだと思います。
またこれは本文ではあえて触れませんでしたが、彼ら「大阪の高校生に笑顔を下さいの会」のバックボーンになっている、とある「大人たち」の組織の政治的主義主張と重なる部分があることに対する、知事なりの含蓄だったのかもしれません。
何はともあれ、政治に注文を出すにはある程度政治に関する知識が必要なわけで、思いつきだけでいい加減なことを言っても何も変えられない。だからこそ自分の住みよい国を作るには勉強というのが不可欠なんだよ。そういうメッセージがあるようにも感じます。確かにこの部分についてはもっと別の言い方があったかも?とは思いますが、とるに足らない話を門前払いするという基本姿勢は受け入れられます。
この対応が討論終了後の「勉強せなあかん」という彼らの意欲に繋がったのだとすれば、あながち悪い対応ではなかったと感じました
再度のお返事、感謝致します。
おみごとです。
> 総じて知事が発言で触れなかった部分を他の文脈との関連性を度外視して『悪意』にかつ断定的に解釈しておられる印象を受けます。
↑ の様に、かなり主様のご意見通りの意図を持って書き込んでいます。
しかし、主様のように橋下知事の過激な発言を無批判に賛同する危険性を感じる人がいているので、あえて自身のブログでもその様に書き込んでおります。
と言うと「自分は常識的な範疇の中で…」と仰るでしょうが、現実問題として橋下政権が発足してから如何ほどの有益な政策がおこなわれたのか、改めて考えて頂きたいと思っているからです。
今回、ここに書き込まさせて頂いたのは、貴君が私のブログにトラバされたからであって、特段この事件だけで橋下知事批判をおこなっていたわけではありません。
前回のコメントにも書かせて頂いたように、現在府下で作っている不必要な道路1本を作るのを凍結するだけで、十分私学助成が出来るのをご存じですか?
さらに、彼が出してきた選挙公約で、どの部分がどの程度達成されたかご存じですか?
残念な事に、橋下知事は知事自身が発言された事に対して、ほとんど全て(ここに引っかかれると困るので「ほとんど」と念を押しておきます)実行していません。
それだけでなく、朝発言した事が夜には180度反対の事を発言しているような事ばかり行っています。
つまりは、今回の高校生対談に対しても、橋下知事は大阪の将来を支える人間を作ろうとしているのではなく、自分の意見をごり押ししマスコミに対し話題作りをしたいだけと判断して、橋下知事を批判させて貰いました。
基本的に私のスタンスは、橋下知事は信頼出来ない人物であるというのが根底にあります。
もし主様が、そうでないと言われるのなら公務員の給与を下げた以外(コレは有名ですからね)の、橋下知事の実績を教えて頂けたら幸いです。
出来てない部分は、いくつでも出せますので…
さて、今回の件です。
>高校生が負わねばならない自己責任というのは存在すると考えます。
↑ 私も主様のご意見に全くの同感です。
「全て」と私が書いた事に反応されたのなら「全て」を取り消させて頂きます。
常識の範疇で判断して頂けると思っていましたが、正確な言葉を使わなくてはなりませんね(反省します)。
「全て」を訂正しての前提で、この話に入ります。
>たとえば「どの高校に進学するのか?」~という主張が通るのではあまりにも甘すぎます。
のくだりですが、入試という競争が始まり、その結果を本人が受けなくてはならないのは当たり前です。私自身も競争社会がダメだとは一言も言っていません。
前のコメントでも書いているように「徐々に…(これは主様も同意見のはずでしたね)」で有るべきだと思いますし、それに対して補助削減はしなくても、別の場所からそれだけの金額を持ってこれると言っているのです。
だから、主様の言われる『高校入試制度を廃止して義務教育化せねばなりません。』の方が極端に話題をすり替えすぎだと思います。
さらに奨学金制度の件を出されていましたが、奨学金制度は色々と制約があるのをご存じだと思います。
年度途中からの変更もきかないし、人数制限もあります。
さらにその奨学金を利用したとしても、公立高校にかかる費用よりも多額の費用がかかります。
それに誰も『勝者と同じ条件にしてくれ』などと言ってませんね。
今までの公的援助があった場合ですら、私学は公立の約3倍もの経費がかかってきます。
その公的援助が減額された場合は、私学と公立との経費の差は、そのまま子供達にかかって来るのですよ。
『同じ条件』とは『同じ経費』と考えるのが普通でしょう。
さらに『景気というのは大人の都合ではありません』とのことですが、景気の話しは大人の都合です。高校生の動向で景気が変動するわけはないでしょう。
私は『景気』の話を、公立と私学の生徒数の割り当てについての事で出しています。
もう一度前回の私のコメントを読んで、貴君の答えが的はずれと言うことに気が付いて頂けたらと思っています。
これは『感情論』はなく『事実』なのです。
>また努力がいくら真面目でも競争には結果が伴わなければいけません。無事高校に進学しても早ければ3年後には社会人です。子供たちが飛び出す社会というのは努力の中身だけで評価してもらえるようなものではないことは諷太郎さんもご存知のはず。
↑ この件については、異存はありません。全く同感です。
ただ、方法論でしょうね。
少なくとも橋下知事が行ったような、生徒を屈辱する事により現実を知らせる方法では、情緒豊かな人間形成には、間違ってもならないでしょう。
>自分のほしい部分に財源を充てるために別の部分を不要だとか優先度が低いと決め付ける過程があまりにもお粗末ではありませんか。
↑ この部分は、面白いと感じました。少なくとも、貴君の仰せの通りですね。
貴君が最後の方にも書いているように、一介の高校生がこの様な発言をスラスラと口に出せるわけはないと私も思っています。
当然後ろには、政治的な意図を持った大人達が介入しているのは事実でしょう。
例の保育園の事件など、その際たるものです。
だからこそ橋下知事は、大人の対応をしなくてはならないと思っているのです。
残念ながら、橋下知事の言動は、政敵に対しては容赦なく罵倒するが、国や自民公明党に対しては調子の良い事だけ言って何ら行動すらおこさないではありませんか。
首長としての品位のカケラすら有りません。
大阪人が、金儲けだけが最優先され競争原理だけがまかり通るのを希望するのなら、私も橋下知事が最適だと思います。
貴君が『自分もそう思う』と言われるのでしたら、私は貴君が橋下知事を支持する理由を納得し、今までの数々の非礼をお詫びして退散します。
そうでないなら、貴君が橋下知事を支持するだけの、彼の政策実行能力(選挙公約をどれほど守っているか)をお示し頂けたら幸いです。
ついでに、国土交通省から委託されている不必要な道路建設に数百億円もの府税は投入出来るが、その金額より少ない私学援助は出来ない理由も教えて頂けたらと存じます。
> 総じて知事が発言で触れなかった部分を他の文脈との関連性を度外視して『悪意』にかつ断定的に解釈しておられる印象を受けます。
↑ の様に、かなり主様のご意見通りの意図を持って書き込んでいます。
しかし、主様のように橋下知事の過激な発言を無批判に賛同する危険性を感じる人がいているので、あえて自身のブログでもその様に書き込んでおります。
と言うと「自分は常識的な範疇の中で…」と仰るでしょうが、現実問題として橋下政権が発足してから如何ほどの有益な政策がおこなわれたのか、改めて考えて頂きたいと思っているからです。
今回、ここに書き込まさせて頂いたのは、貴君が私のブログにトラバされたからであって、特段この事件だけで橋下知事批判をおこなっていたわけではありません。
前回のコメントにも書かせて頂いたように、現在府下で作っている不必要な道路1本を作るのを凍結するだけで、十分私学助成が出来るのをご存じですか?
さらに、彼が出してきた選挙公約で、どの部分がどの程度達成されたかご存じですか?
残念な事に、橋下知事は知事自身が発言された事に対して、ほとんど全て(ここに引っかかれると困るので「ほとんど」と念を押しておきます)実行していません。
それだけでなく、朝発言した事が夜には180度反対の事を発言しているような事ばかり行っています。
つまりは、今回の高校生対談に対しても、橋下知事は大阪の将来を支える人間を作ろうとしているのではなく、自分の意見をごり押ししマスコミに対し話題作りをしたいだけと判断して、橋下知事を批判させて貰いました。
基本的に私のスタンスは、橋下知事は信頼出来ない人物であるというのが根底にあります。
もし主様が、そうでないと言われるのなら公務員の給与を下げた以外(コレは有名ですからね)の、橋下知事の実績を教えて頂けたら幸いです。
出来てない部分は、いくつでも出せますので…
さて、今回の件です。
>高校生が負わねばならない自己責任というのは存在すると考えます。
↑ 私も主様のご意見に全くの同感です。
「全て」と私が書いた事に反応されたのなら「全て」を取り消させて頂きます。
常識の範疇で判断して頂けると思っていましたが、正確な言葉を使わなくてはなりませんね(反省します)。
「全て」を訂正しての前提で、この話に入ります。
>たとえば「どの高校に進学するのか?」~という主張が通るのではあまりにも甘すぎます。
のくだりですが、入試という競争が始まり、その結果を本人が受けなくてはならないのは当たり前です。私自身も競争社会がダメだとは一言も言っていません。
前のコメントでも書いているように「徐々に…(これは主様も同意見のはずでしたね)」で有るべきだと思いますし、それに対して補助削減はしなくても、別の場所からそれだけの金額を持ってこれると言っているのです。
だから、主様の言われる『高校入試制度を廃止して義務教育化せねばなりません。』の方が極端に話題をすり替えすぎだと思います。
さらに奨学金制度の件を出されていましたが、奨学金制度は色々と制約があるのをご存じだと思います。
年度途中からの変更もきかないし、人数制限もあります。
さらにその奨学金を利用したとしても、公立高校にかかる費用よりも多額の費用がかかります。
それに誰も『勝者と同じ条件にしてくれ』などと言ってませんね。
今までの公的援助があった場合ですら、私学は公立の約3倍もの経費がかかってきます。
その公的援助が減額された場合は、私学と公立との経費の差は、そのまま子供達にかかって来るのですよ。
『同じ条件』とは『同じ経費』と考えるのが普通でしょう。
さらに『景気というのは大人の都合ではありません』とのことですが、景気の話しは大人の都合です。高校生の動向で景気が変動するわけはないでしょう。
私は『景気』の話を、公立と私学の生徒数の割り当てについての事で出しています。
もう一度前回の私のコメントを読んで、貴君の答えが的はずれと言うことに気が付いて頂けたらと思っています。
これは『感情論』はなく『事実』なのです。
>また努力がいくら真面目でも競争には結果が伴わなければいけません。無事高校に進学しても早ければ3年後には社会人です。子供たちが飛び出す社会というのは努力の中身だけで評価してもらえるようなものではないことは諷太郎さんもご存知のはず。
↑ この件については、異存はありません。全く同感です。
ただ、方法論でしょうね。
少なくとも橋下知事が行ったような、生徒を屈辱する事により現実を知らせる方法では、情緒豊かな人間形成には、間違ってもならないでしょう。
>自分のほしい部分に財源を充てるために別の部分を不要だとか優先度が低いと決め付ける過程があまりにもお粗末ではありませんか。
↑ この部分は、面白いと感じました。少なくとも、貴君の仰せの通りですね。
貴君が最後の方にも書いているように、一介の高校生がこの様な発言をスラスラと口に出せるわけはないと私も思っています。
当然後ろには、政治的な意図を持った大人達が介入しているのは事実でしょう。
例の保育園の事件など、その際たるものです。
だからこそ橋下知事は、大人の対応をしなくてはならないと思っているのです。
残念ながら、橋下知事の言動は、政敵に対しては容赦なく罵倒するが、国や自民公明党に対しては調子の良い事だけ言って何ら行動すらおこさないではありませんか。
首長としての品位のカケラすら有りません。
大阪人が、金儲けだけが最優先され競争原理だけがまかり通るのを希望するのなら、私も橋下知事が最適だと思います。
貴君が『自分もそう思う』と言われるのでしたら、私は貴君が橋下知事を支持する理由を納得し、今までの数々の非礼をお詫びして退散します。
そうでないなら、貴君が橋下知事を支持するだけの、彼の政策実行能力(選挙公約をどれほど守っているか)をお示し頂けたら幸いです。
ついでに、国土交通省から委託されている不必要な道路建設に数百億円もの府税は投入出来るが、その金額より少ない私学援助は出来ない理由も教えて頂けたらと存じます。
なんか変な方向に……
どんどん話が横道に逸れていってはいませんか?
> 現実問題として橋下政権が発足してから如何ほどの有益な政策がおこなわれたのか~
> 特段この事件だけで橋下知事批判をおこなっていたわけではありません。
> 今回の高校生対談に対しても、橋下知事は大阪の将来を支える人間を作ろうとしているのではなく~
私が書いた当初の記事、ならびにそれ以降のコメント欄の記述を再度読み替えてしていただければ幸いなのですが、私は橋下知事の為政者としての政策・実績を特段支持しているわけではありません。支持者だから知事の考えに諸手を挙げて賛同しているわけでもなく、諷太郎さんのように不支持だからと個々の発言にまで悪意の解釈を施し批判を重ねている態度にも賛同しかねます。そういう意味でできる限りニュートラルな視点から判断することを「常識的な範疇」と表現したのです。
以上の点から、私がこれまでに書いた記事、そしてこれから書くコメントを通じて「政治的綱引き」などを目的にしていないことをご理解いただければと思います。となると今回の諷太郎さんのコメントに私が反論すべきポイントはそれほど多くはありません。
今回の討論会で知事が高校生に語ったことは、彼らがまもなく足を踏み入れる理想論では片付けられない社会の現実、高校生になればどうしても負うことを避けられぬ自己責任の現実を、下手に理解者を装って懐柔したり理想論だけを語ってごまかしたりというその辺の大人や政治家がやりがちな対応をせず、正面からまっすぐにぶつけたのです。
彼らはもう現実を知るべき年齢にあり、ごまかしで語る夢物語にかまけていられない時を迎えていると思うからこそ、今回の知事の対応を政治家として、大人として、教育者として賞賛しているわけです。
高校生たちも言っていましたが、不必要な道路、などと我々有権者は簡単に「不必要」という言葉を使いますが、この評価にどれほどの説得力があるかが疑問です。別のものに使いたいお金(今回の場合は私学助成金)を捻出することを前提に単に便利な言葉として「不必要」と言っているのではないですか?
ひとつの施策ごとに議会の承認など政治的にきっちりした手続きを経て「必要」と認められるからお金が出るのであって、それを「不必要」と論じるには相応の論拠が必要になるでしょう。高校生たちはそのことを単に知らなかったのか、道路建設に反対するどこかの大人から吹き込まれたのかは解りませんが、彼らが勉強不足であることは一目瞭然でありそんな稚拙な議論にいちいち耳を貸すほど政治は悠長なものではない、だからもっと勉強しなさい、と言っているのではないでしょうか?だからあの「あなたが政治家になって~」という門前払いの対応が理解できるんです。
彼らが本来訴えるべきはどこが不必要かではなく、自分たちの求めるものが「いかに必要か」ではなかったでしょうか?
さて、高校生が部分的にでも自由競争と自己責任の中に身をおいているという認識には賛同いただけているようです。
> 補助削減はしなくても、別の場所からそれだけの金額を持ってこれると言っているのです。
この点は政治判断の話ですので私が反論することではありません。そう思っているとして言うのと、それが実現できるとして言うのとでは次元が違いすぎます。知事の言葉を借りれば「あなたが政治家になって政治の場で議論してください」ということになります。
> それに誰も『勝者と同じ条件にしてくれ』などと言ってませんね。
私学助成の削減により私学の学生は負担が増えました。一方公立では変わりません。助成金削減の撤廃とはすなわち、この変化量について「勝者側と同じのままで」と言っているではないか、という主旨です。彼らが学費負担を公立と同水準にせよ、と言っているという意図ではありません。誤解を生じる言葉足らずな表現になったことをお詫びします。
そして景気について。景気というのは大人の都合に関係なく良くなったり悪くなったりします。経済活動に失敗しても悪くなりますが、天変地異によっても悪くなります。今の景気に悪影響を与えたサブプライムローン問題も元をたどればハリケーン。カトリーヌです。
これは繰り返しになりますが、景気が悪くなったツケは大人子供関係なく影響します。それは子供も経済活動を行っているからです。おもちゃを買うのもご飯の食べるのも経済活動ですから。そして景気が悪いときには国も自治体も貧乏になるんです。子供を守れば年寄りが苦しみます。年寄りも守れば主婦が苦しみます。
確かに景気の変化に子供が振り回されるのは悲しいことではあります。しかしこれはただの必然です。私にはそれが誰かせいにできる悪い事だとは思えませんし、そう考えるのならば感情論というほかありません。
> 少なくとも橋下知事が行ったような、生徒を屈辱する事により現実を知らせる方法では、情緒豊かな人間形成には、間違ってもならないでしょう。
16歳になってもまだ子供たちを屈辱も挫折も知らない夢の世界でごまかし続けなければなりませんか?対象が小学生なら諷太郎さんの仰ることにも賛同できますが、いくつまでそんな庇護をかけてやらねばならないのでしょう?
この問いかけこそが私の本文の主旨でもあります。タイトルを「子供はいつまで大人に責任を押し付けるのか?」としたのもそういう考えがあったからです。
> だからこそ橋下知事は、大人の対応をしなくてはならないと思っているのです。
あの討論会が非公開ならば「従来の」大人の対応でやり過ごしてもよかったでしょう。しかし公開の場ですから、あのやり取りは府内の全高校生にも見えているんです。彼らを教育する現場(家庭、地域、学校)にも、将来彼らを受け入れるべき社会の全てに見られているやり取りです。毅然とすべきは毅然と、厳しく答えるべきは厳しく、そうすることで子供たちに現実の惨さを、もっと言えば大人たちに現実を突きつける惨さを見せているんだと思います。これは彼らにとっても私たちにとっても、大変貴重な経験ではないでしょうか?
悪く言えば彼らは晒し者ですが、背後に政治的意図を持った大人がいたとすれば…?これは保育園の菜園の話にも通じるところがあるのかな?
> 現実問題として橋下政権が発足してから如何ほどの有益な政策がおこなわれたのか~
> 特段この事件だけで橋下知事批判をおこなっていたわけではありません。
> 今回の高校生対談に対しても、橋下知事は大阪の将来を支える人間を作ろうとしているのではなく~
私が書いた当初の記事、ならびにそれ以降のコメント欄の記述を再度読み替えてしていただければ幸いなのですが、私は橋下知事の為政者としての政策・実績を特段支持しているわけではありません。支持者だから知事の考えに諸手を挙げて賛同しているわけでもなく、諷太郎さんのように不支持だからと個々の発言にまで悪意の解釈を施し批判を重ねている態度にも賛同しかねます。そういう意味でできる限りニュートラルな視点から判断することを「常識的な範疇」と表現したのです。
以上の点から、私がこれまでに書いた記事、そしてこれから書くコメントを通じて「政治的綱引き」などを目的にしていないことをご理解いただければと思います。となると今回の諷太郎さんのコメントに私が反論すべきポイントはそれほど多くはありません。
今回の討論会で知事が高校生に語ったことは、彼らがまもなく足を踏み入れる理想論では片付けられない社会の現実、高校生になればどうしても負うことを避けられぬ自己責任の現実を、下手に理解者を装って懐柔したり理想論だけを語ってごまかしたりというその辺の大人や政治家がやりがちな対応をせず、正面からまっすぐにぶつけたのです。
彼らはもう現実を知るべき年齢にあり、ごまかしで語る夢物語にかまけていられない時を迎えていると思うからこそ、今回の知事の対応を政治家として、大人として、教育者として賞賛しているわけです。
高校生たちも言っていましたが、不必要な道路、などと我々有権者は簡単に「不必要」という言葉を使いますが、この評価にどれほどの説得力があるかが疑問です。別のものに使いたいお金(今回の場合は私学助成金)を捻出することを前提に単に便利な言葉として「不必要」と言っているのではないですか?
ひとつの施策ごとに議会の承認など政治的にきっちりした手続きを経て「必要」と認められるからお金が出るのであって、それを「不必要」と論じるには相応の論拠が必要になるでしょう。高校生たちはそのことを単に知らなかったのか、道路建設に反対するどこかの大人から吹き込まれたのかは解りませんが、彼らが勉強不足であることは一目瞭然でありそんな稚拙な議論にいちいち耳を貸すほど政治は悠長なものではない、だからもっと勉強しなさい、と言っているのではないでしょうか?だからあの「あなたが政治家になって~」という門前払いの対応が理解できるんです。
彼らが本来訴えるべきはどこが不必要かではなく、自分たちの求めるものが「いかに必要か」ではなかったでしょうか?
さて、高校生が部分的にでも自由競争と自己責任の中に身をおいているという認識には賛同いただけているようです。
> 補助削減はしなくても、別の場所からそれだけの金額を持ってこれると言っているのです。
この点は政治判断の話ですので私が反論することではありません。そう思っているとして言うのと、それが実現できるとして言うのとでは次元が違いすぎます。知事の言葉を借りれば「あなたが政治家になって政治の場で議論してください」ということになります。
> それに誰も『勝者と同じ条件にしてくれ』などと言ってませんね。
私学助成の削減により私学の学生は負担が増えました。一方公立では変わりません。助成金削減の撤廃とはすなわち、この変化量について「勝者側と同じのままで」と言っているではないか、という主旨です。彼らが学費負担を公立と同水準にせよ、と言っているという意図ではありません。誤解を生じる言葉足らずな表現になったことをお詫びします。
そして景気について。景気というのは大人の都合に関係なく良くなったり悪くなったりします。経済活動に失敗しても悪くなりますが、天変地異によっても悪くなります。今の景気に悪影響を与えたサブプライムローン問題も元をたどればハリケーン。カトリーヌです。
これは繰り返しになりますが、景気が悪くなったツケは大人子供関係なく影響します。それは子供も経済活動を行っているからです。おもちゃを買うのもご飯の食べるのも経済活動ですから。そして景気が悪いときには国も自治体も貧乏になるんです。子供を守れば年寄りが苦しみます。年寄りも守れば主婦が苦しみます。
確かに景気の変化に子供が振り回されるのは悲しいことではあります。しかしこれはただの必然です。私にはそれが誰かせいにできる悪い事だとは思えませんし、そう考えるのならば感情論というほかありません。
> 少なくとも橋下知事が行ったような、生徒を屈辱する事により現実を知らせる方法では、情緒豊かな人間形成には、間違ってもならないでしょう。
16歳になってもまだ子供たちを屈辱も挫折も知らない夢の世界でごまかし続けなければなりませんか?対象が小学生なら諷太郎さんの仰ることにも賛同できますが、いくつまでそんな庇護をかけてやらねばならないのでしょう?
この問いかけこそが私の本文の主旨でもあります。タイトルを「子供はいつまで大人に責任を押し付けるのか?」としたのもそういう考えがあったからです。
> だからこそ橋下知事は、大人の対応をしなくてはならないと思っているのです。
あの討論会が非公開ならば「従来の」大人の対応でやり過ごしてもよかったでしょう。しかし公開の場ですから、あのやり取りは府内の全高校生にも見えているんです。彼らを教育する現場(家庭、地域、学校)にも、将来彼らを受け入れるべき社会の全てに見られているやり取りです。毅然とすべきは毅然と、厳しく答えるべきは厳しく、そうすることで子供たちに現実の惨さを、もっと言えば大人たちに現実を突きつける惨さを見せているんだと思います。これは彼らにとっても私たちにとっても、大変貴重な経験ではないでしょうか?
悪く言えば彼らは晒し者ですが、背後に政治的意図を持った大人がいたとすれば…?これは保育園の菜園の話にも通じるところがあるのかな?
気付かれましたか(^^;)
>どんどん話が横道に逸れていってはいませんか?
↑ ハハ…申し訳ないです。
お察しの通り、意図的に話しを変えております。
理由は前のコメに書いたように、私は橋下知事の政策全般について考えた上で、支持不支持を決めていきたいのですが、貴君がたまたまこの話題についてトラバされたので、成り行き上こうなってしまったのです(再度お詫び致します)。
>今回の諷太郎さんのコメントに私が反論すべきポイントはそれほど多くはありません。↑ 貴君の過去ログも拝読させて頂きましたが、かなりな部分で同感すべき所があります。
正直、橋下知事を支援している他のブログなどを拝見したりしていると、結構多いのが『橋下知事支持=反朝日』『反橋下=共産党』などの感覚(あくまでも感覚ですよ)で、断定的に書き込んでいる所が多いのにはビックリしていました。
貴君が私のブログにトラバされた時も、その種の類ではないかと推測し「勝手にトラバすんなよなぁ~」的な感覚でお返事させて貰ったのですが、こうやって意見交換をしていると、貴君の真摯な態度に感心すらさせられております。
さてこの件だけに関しての確認ですが、基本的には貴君と私の高校生に対するポジションについては相違点はあまりないようです。
貴君も何度か仰せのように、社会人としての第1歩を叩き込む必要性に異存は全くありません。
そうなると大きな違いは、橋下知事の発言方法だけと言うことになりそうですね。
私は、ああいう場でああいう高圧的な発言に対し嫌悪感を覚えました。
橋下知事が、貴君の思われているような事を実際に高校生に教えたいのなら、それこそ教育委員会を通じてその方法を示唆する事が必要ではないかと思っているのです。
(ちなみに、私は橋下知事には貴君ほどの思慮は無いと感じております。)
逆に貴君の言われるように、今の高校生にインパクトを与える為の手段として橋下知事があのような発言をしたのだ…と解釈するのも、『方法論』としては理解出来ます。
ゆえに今回のこの部分について意見交換は、今後の教育行政界の動向や、高校生や大学生の動向により、結論が出される事と思います。
お互い今後の動向を見て、「どちらの方法が良かったのか」「他の方法は無かったのか」など、それぞれ学べれば良いと思います。
さて、もう一つの『政治判断』云々の話しですが、私は府の収支報告などを含め、様々な観点から調べてみました。
その結果として『道路』の話しを出したのであり、その気になれば貴君も私学助成の金額など、何処からでも出せると言う事に気が付くでしょう。
『不必要な道路』とは何が基準だと言われるかもしれませんので、一応書いておきますが、1日の自動車通過予想台数が数百台の道路建設に、百億円以上の府費を使っているのですよ。
さらに、府の持っている公益法人は幾つ有るかご存じでしょうか?
その公益法人の必要性は幾ばくかご存じでしょうか?
その資金がどの程度税金から流れ、天下り役人の懐に流れているかご存じでしょうか?
残念な事に、橋下知事はその方向には一切手を付けていませんし、さらに巨額の資金が必要となるであろう、淀川水系流域4ダムについても、明確な反対意見を出していません。
つまりは、本来削らなくてはならないところには手を付けず(なんせ、自分の支持政党からの圧力もあるでしょうし)国の各省庁の言いなりなのが、気にくわない一番の原因なのです。
また、貴君が書き込まれていた『保育園芋掘り事件』についても、政治的な臭いがプンプンするのは分かっています。
もし貴君に時間があるようでしたら、私のブログの過去ログをご覧になったら、私のポジションは朝日系でないのは理解して頂けると思います。
だからこそ、橋下知事のような口先だけの『エセ右翼』にかき回されたくないのです。
貴君の年齢がおいくつかは存じませんが、私のような初老を迎えるものにとって、政治に期待する事は穏やかで有意義な改革です。
若い頃は現実の政治に反発し過激な言動を取ってきたので、今の若い人達もそうであろう事は推測されます。
だから、橋下知事のような『デストロイヤー』に対する憧れが大きいのも理解出来ます。
しかし本当の生活は、破壊だけでは存続しません。
その事が分からない限り、大阪は破壊され尽くした状態で放置されるでしょう。
私はその様な大阪を見たくないし、またそうなると京都や神戸、更に関西圏全域の崩壊に繋がります。
幸い貴君も私もその方向は望んでないようです。
橋下知事の政治手腕については、未だ未知数の部分が多いので、これ以上の論議は必要ないと思いますが、貴君が府政の方に興味を持たれたら、色々とお調べになる事をお勧め致します。
若い子供達に夢を託す…飾り言葉だけにならないように、今後も私は知事の動向を見て、辛辣に批判し続けていきます。
しかし、私は私の見解が裏切られる事を『強く』願っています。
今のような『口だけ知事・話題作りだけ知事』でなかったなぁと、思わせて欲しいと願っています。
↑ ハハ…申し訳ないです。
お察しの通り、意図的に話しを変えております。
理由は前のコメに書いたように、私は橋下知事の政策全般について考えた上で、支持不支持を決めていきたいのですが、貴君がたまたまこの話題についてトラバされたので、成り行き上こうなってしまったのです(再度お詫び致します)。
>今回の諷太郎さんのコメントに私が反論すべきポイントはそれほど多くはありません。↑ 貴君の過去ログも拝読させて頂きましたが、かなりな部分で同感すべき所があります。
正直、橋下知事を支援している他のブログなどを拝見したりしていると、結構多いのが『橋下知事支持=反朝日』『反橋下=共産党』などの感覚(あくまでも感覚ですよ)で、断定的に書き込んでいる所が多いのにはビックリしていました。
貴君が私のブログにトラバされた時も、その種の類ではないかと推測し「勝手にトラバすんなよなぁ~」的な感覚でお返事させて貰ったのですが、こうやって意見交換をしていると、貴君の真摯な態度に感心すらさせられております。
さてこの件だけに関しての確認ですが、基本的には貴君と私の高校生に対するポジションについては相違点はあまりないようです。
貴君も何度か仰せのように、社会人としての第1歩を叩き込む必要性に異存は全くありません。
そうなると大きな違いは、橋下知事の発言方法だけと言うことになりそうですね。
私は、ああいう場でああいう高圧的な発言に対し嫌悪感を覚えました。
橋下知事が、貴君の思われているような事を実際に高校生に教えたいのなら、それこそ教育委員会を通じてその方法を示唆する事が必要ではないかと思っているのです。
(ちなみに、私は橋下知事には貴君ほどの思慮は無いと感じております。)
逆に貴君の言われるように、今の高校生にインパクトを与える為の手段として橋下知事があのような発言をしたのだ…と解釈するのも、『方法論』としては理解出来ます。
ゆえに今回のこの部分について意見交換は、今後の教育行政界の動向や、高校生や大学生の動向により、結論が出される事と思います。
お互い今後の動向を見て、「どちらの方法が良かったのか」「他の方法は無かったのか」など、それぞれ学べれば良いと思います。
さて、もう一つの『政治判断』云々の話しですが、私は府の収支報告などを含め、様々な観点から調べてみました。
その結果として『道路』の話しを出したのであり、その気になれば貴君も私学助成の金額など、何処からでも出せると言う事に気が付くでしょう。
『不必要な道路』とは何が基準だと言われるかもしれませんので、一応書いておきますが、1日の自動車通過予想台数が数百台の道路建設に、百億円以上の府費を使っているのですよ。
さらに、府の持っている公益法人は幾つ有るかご存じでしょうか?
その公益法人の必要性は幾ばくかご存じでしょうか?
その資金がどの程度税金から流れ、天下り役人の懐に流れているかご存じでしょうか?
残念な事に、橋下知事はその方向には一切手を付けていませんし、さらに巨額の資金が必要となるであろう、淀川水系流域4ダムについても、明確な反対意見を出していません。
つまりは、本来削らなくてはならないところには手を付けず(なんせ、自分の支持政党からの圧力もあるでしょうし)国の各省庁の言いなりなのが、気にくわない一番の原因なのです。
また、貴君が書き込まれていた『保育園芋掘り事件』についても、政治的な臭いがプンプンするのは分かっています。
もし貴君に時間があるようでしたら、私のブログの過去ログをご覧になったら、私のポジションは朝日系でないのは理解して頂けると思います。
だからこそ、橋下知事のような口先だけの『エセ右翼』にかき回されたくないのです。
貴君の年齢がおいくつかは存じませんが、私のような初老を迎えるものにとって、政治に期待する事は穏やかで有意義な改革です。
若い頃は現実の政治に反発し過激な言動を取ってきたので、今の若い人達もそうであろう事は推測されます。
だから、橋下知事のような『デストロイヤー』に対する憧れが大きいのも理解出来ます。
しかし本当の生活は、破壊だけでは存続しません。
その事が分からない限り、大阪は破壊され尽くした状態で放置されるでしょう。
私はその様な大阪を見たくないし、またそうなると京都や神戸、更に関西圏全域の崩壊に繋がります。
幸い貴君も私もその方向は望んでないようです。
橋下知事の政治手腕については、未だ未知数の部分が多いので、これ以上の論議は必要ないと思いますが、貴君が府政の方に興味を持たれたら、色々とお調べになる事をお勧め致します。
若い子供達に夢を託す…飾り言葉だけにならないように、今後も私は知事の動向を見て、辛辣に批判し続けていきます。
しかし、私は私の見解が裏切られる事を『強く』願っています。
今のような『口だけ知事・話題作りだけ知事』でなかったなぁと、思わせて欲しいと願っています。
あまり遠回りしたくないので政治的な議論は避けますが
トラックバックについてですが、私はトラックバックを飛ばす際にはあまり深く考えてはいません。たとえば今回の記事ならば「橋下知事と高校生の意見交換会のニュースを題材にしている」という一点だけを基準にしています。意見として賛同するものがあるかどうか、議論の土俵を同じくしているかどうか、はたまたこの意見には討論を吹っかけようか、といった類のことは一切考えていません。ブログを見ている人にとってはトラックバックは単に「似た話題へのリンク」でしかない、という認識だからです。
他方、ブログを書いてる人にとっての自分へのトラックバックの位置づけは人それぞれです。中には「本文中に当記事への参照リンクが記載されていること」をトラックバックの条件にされている方もいます。このように明示的に基準が示されている場合は例外ですが、基本的にはトラックバックの削除も一時保留も管理者の権限で自由にできるのですからこちらから飛ばすときは自由にさせてもらっています。
先の例のように片道リンク仕様のトラックバックに相互リンクを義務付けるのにはどうかとも思ったりしますが(笑)
さて、すでにご理解いただいているように私の主題は「高校生にはどこまで自己責任が?」言い換えれば「大人と社会は高校生をどこまで庇護するべきか?」という、大雑把には教育理論に関してのものです。その中で、高校生から知事への政治的アプローチについて知事の対応も含めて教育的観点からの考えを今までコメントしてきました。
そういった点から、私と諷太郎さんの間で財政政策論争をしようというつもりはありません。あくまでも高校生と知事とのやり取りの評価を語っているまでです。諷太郎さんの過去の他の事例に対する論調がどういった傾向にあるかも一切気にしていません。今回の討論会の内容についての話をするのには不要ですから。
(ちなみに最初のコメントをもらった後に、諷太郎さんのブログの過去ログは興味を引いたところをかいつまんで拝見させていただいてます。)
ゆえに諷太郎さんの「不必要な道路の見極め」に関しては一般人の私から反論するべきものではありません。それは大阪府政を担う政治家の方と議論してください。そのために必要であれば「あなたがまず政治家になってください。」と知事と同じことを申し上げることしかできません。
むしろ諷太郎さんと同じ見極めをなぜあのときの高校生が(説明)しなかったのか? それをせずに稚拙な議論で知事に「不必要」と言い切ったことはどうなのか? それに対する知事の返答はどうなのか? という点についての意見であることは、先にも述べた私の本文の主旨からもご理解いただけると思っております。
つまり諷太郎さんの内容のある政策議論こそ知事にぶつけるべき内容であり、逆に高校生の言ったような稚拙な理論は私のような素人と話す程度のレベルでしかないということです。
仮にあの高校生たちが諷太郎さんと同じような理屈を知事にぶつけたとしましょう。道路建設はおおよそ無駄で不必要なものであると説明できたとして、そこで浮いたお金を私学助成費に転換するべきか否か(というよりは私学助成を削減しなくても済むのかどうか?の方が適切でしょうか)はまた別の問題です。
府の財政は借金まみれなのに、こっちで大きなお金が浮いたからあっちは減らさなくていいなんて道理が通るはずもなく、他にも減らさないで欲しい、あるいは無くさないで欲しいという部門がたくさんあるのにも関わらず私学助成がどれほどの優先度を持つのか?という疑問にも答えなければなりません。橋下知事ならそういう突っ込みを実際にするかもしれません(笑)
前回も述べましたがやはり大切なのは「何が不必要か」ではなく「いかに必要か」を主張するべきでしょう。しかし高校生にここまでの高度な財政分析を強いるのも酷でしょう(でも高校生でも勉強すれば不可能なことではないとも思います)。だからこそ『あなたが政治家になってから~』という言葉に繋がるのはある種の必然ともいえる気がします。
あとは知事の高校生に対する態度ですね。確かに反感を買う、というより無駄なほどに敵をあちこちに作ってしまう強いインパクトのある言動です。まあこれは知事選のときから一貫している知事のキャラクターともいえるでしょう。
教育的な観点から見れば、討論会後のある女子高生のインタビューを見ても一部の参加者を傷つけてしまったことは否めないでしょう。同様にニュースで知事の発言を見て傷ついた高校生もいたかもしれません。
しかしながらいろんな大人がいるのが社会の現実です。同様にいろんな立場や考え方があるのも現実です。
進学もせずに中卒で働いて自分の生計を立てているような人から見れば「母子家庭で家計が苦しいから」という理由だけで助成を要求する高校生の方を「甘えすぎ」と否定的に見るかもしれません。そんな人にとっては知事の残酷に見える切り捨て方も当然に映るでしょう。
同じ高校生でもすでに自己責任に目覚めている子供ならば「子供のたわごと」に終わらせず真っ向から反論を展開したことで、知事を話をちゃんと聞いてくれる大人として歓迎するという受け取り方もあるでしょう。
そんな彼らにとって見れば、もし知事が「従来の大人の対応」で参加者の高校生の主張を次々といなしてしまえば、逆に大人と社会への失望を植え付けることになるのではないでしょうか。
そもそも誰もを納得させるようなことは論争の中には存在せず、その中で傷ついたのが子供であればそれをフォローするのも大人の役割であり、それも教育の一環です。あの討論でダメージを受けた子供がいるのならば、知事よりももっと近くにいる教育者である保護者や教師がフォローすればいいんですよ。
もしその子供がどこかを踏み外したような成長をしたときに「あのときの知事が悪い」などとホンの短時間接しただけの大人に責任を転嫁するのであれば、その子のそばにずっといたはずの教育者たちの怠慢を認めることに他なりません。子供のそばにいなくとも諷太郎さんのように知事の対応を批判するのであれば、ぜひ「大阪の高校生に笑顔を下さいの会」宛に応援のメッセージを一筆書かれることをおすすめします。
大勢の人や事柄と関わって成長していく子供にとってはその関わりそのものも教育のひとつであり、ほんの一点を接したものにだけ結果の責任を転嫁するよう態度・姿勢が「真の無責任であり暴挙」ということに、特に子供の近くにいる大人は気づかなくてはなりませんよ。
16歳というのはきっと諷太郎さんが思っているよりずっと大人です。純粋な面も残しながら、大人のよい部分も悪い部分も持ち合わせているものです。「悔しい」と言って泣きながらも、大人が知事を批判している所以が自分を思ってくれているものなのか、はたまた政治的・思想的対立からなのかをきちんと見極めている子供だってきっといます(笑)
他方、ブログを書いてる人にとっての自分へのトラックバックの位置づけは人それぞれです。中には「本文中に当記事への参照リンクが記載されていること」をトラックバックの条件にされている方もいます。このように明示的に基準が示されている場合は例外ですが、基本的にはトラックバックの削除も一時保留も管理者の権限で自由にできるのですからこちらから飛ばすときは自由にさせてもらっています。
先の例のように片道リンク仕様のトラックバックに相互リンクを義務付けるのにはどうかとも思ったりしますが(笑)
さて、すでにご理解いただいているように私の主題は「高校生にはどこまで自己責任が?」言い換えれば「大人と社会は高校生をどこまで庇護するべきか?」という、大雑把には教育理論に関してのものです。その中で、高校生から知事への政治的アプローチについて知事の対応も含めて教育的観点からの考えを今までコメントしてきました。
そういった点から、私と諷太郎さんの間で財政政策論争をしようというつもりはありません。あくまでも高校生と知事とのやり取りの評価を語っているまでです。諷太郎さんの過去の他の事例に対する論調がどういった傾向にあるかも一切気にしていません。今回の討論会の内容についての話をするのには不要ですから。
(ちなみに最初のコメントをもらった後に、諷太郎さんのブログの過去ログは興味を引いたところをかいつまんで拝見させていただいてます。)
ゆえに諷太郎さんの「不必要な道路の見極め」に関しては一般人の私から反論するべきものではありません。それは大阪府政を担う政治家の方と議論してください。そのために必要であれば「あなたがまず政治家になってください。」と知事と同じことを申し上げることしかできません。
むしろ諷太郎さんと同じ見極めをなぜあのときの高校生が(説明)しなかったのか? それをせずに稚拙な議論で知事に「不必要」と言い切ったことはどうなのか? それに対する知事の返答はどうなのか? という点についての意見であることは、先にも述べた私の本文の主旨からもご理解いただけると思っております。
つまり諷太郎さんの内容のある政策議論こそ知事にぶつけるべき内容であり、逆に高校生の言ったような稚拙な理論は私のような素人と話す程度のレベルでしかないということです。
仮にあの高校生たちが諷太郎さんと同じような理屈を知事にぶつけたとしましょう。道路建設はおおよそ無駄で不必要なものであると説明できたとして、そこで浮いたお金を私学助成費に転換するべきか否か(というよりは私学助成を削減しなくても済むのかどうか?の方が適切でしょうか)はまた別の問題です。
府の財政は借金まみれなのに、こっちで大きなお金が浮いたからあっちは減らさなくていいなんて道理が通るはずもなく、他にも減らさないで欲しい、あるいは無くさないで欲しいという部門がたくさんあるのにも関わらず私学助成がどれほどの優先度を持つのか?という疑問にも答えなければなりません。橋下知事ならそういう突っ込みを実際にするかもしれません(笑)
前回も述べましたがやはり大切なのは「何が不必要か」ではなく「いかに必要か」を主張するべきでしょう。しかし高校生にここまでの高度な財政分析を強いるのも酷でしょう(でも高校生でも勉強すれば不可能なことではないとも思います)。だからこそ『あなたが政治家になってから~』という言葉に繋がるのはある種の必然ともいえる気がします。
あとは知事の高校生に対する態度ですね。確かに反感を買う、というより無駄なほどに敵をあちこちに作ってしまう強いインパクトのある言動です。まあこれは知事選のときから一貫している知事のキャラクターともいえるでしょう。
教育的な観点から見れば、討論会後のある女子高生のインタビューを見ても一部の参加者を傷つけてしまったことは否めないでしょう。同様にニュースで知事の発言を見て傷ついた高校生もいたかもしれません。
しかしながらいろんな大人がいるのが社会の現実です。同様にいろんな立場や考え方があるのも現実です。
進学もせずに中卒で働いて自分の生計を立てているような人から見れば「母子家庭で家計が苦しいから」という理由だけで助成を要求する高校生の方を「甘えすぎ」と否定的に見るかもしれません。そんな人にとっては知事の残酷に見える切り捨て方も当然に映るでしょう。
同じ高校生でもすでに自己責任に目覚めている子供ならば「子供のたわごと」に終わらせず真っ向から反論を展開したことで、知事を話をちゃんと聞いてくれる大人として歓迎するという受け取り方もあるでしょう。
そんな彼らにとって見れば、もし知事が「従来の大人の対応」で参加者の高校生の主張を次々といなしてしまえば、逆に大人と社会への失望を植え付けることになるのではないでしょうか。
そもそも誰もを納得させるようなことは論争の中には存在せず、その中で傷ついたのが子供であればそれをフォローするのも大人の役割であり、それも教育の一環です。あの討論でダメージを受けた子供がいるのならば、知事よりももっと近くにいる教育者である保護者や教師がフォローすればいいんですよ。
もしその子供がどこかを踏み外したような成長をしたときに「あのときの知事が悪い」などとホンの短時間接しただけの大人に責任を転嫁するのであれば、その子のそばにずっといたはずの教育者たちの怠慢を認めることに他なりません。子供のそばにいなくとも諷太郎さんのように知事の対応を批判するのであれば、ぜひ「大阪の高校生に笑顔を下さいの会」宛に応援のメッセージを一筆書かれることをおすすめします。
大勢の人や事柄と関わって成長していく子供にとってはその関わりそのものも教育のひとつであり、ほんの一点を接したものにだけ結果の責任を転嫁するよう態度・姿勢が「真の無責任であり暴挙」ということに、特に子供の近くにいる大人は気づかなくてはなりませんよ。
16歳というのはきっと諷太郎さんが思っているよりずっと大人です。純粋な面も残しながら、大人のよい部分も悪い部分も持ち合わせているものです。「悔しい」と言って泣きながらも、大人が知事を批判している所以が自分を思ってくれているものなのか、はたまた政治的・思想的対立からなのかをきちんと見極めている子供だってきっといます(笑)
トラックバックありがとうございます
私はyoutubeのようないつ消えるか分からないところから動画を見たので、
ちゃんとしたニュースサイトのソースを教えていただけたのは有益でした。
>こういった言葉が彼らの口から出てきたことに、未来への希望を感じられるような気がします
本当にその通りだと思います。
後は、その聖域とも言われる予算を削ったものを、赤字の埋め合わせではなくて、公立学校のカリキュラムの拡充と同時に(いまやってらっしゃいますね)、
無利子の奨学金制度の利用範囲拡大、高校の就職斡旋の強化に当てることを願います。
そして橋下さんには、自己責任の現実を教えるのと同時に、経済力の無い学生でも、
あがこうと思えば利用できる仕組み作りや、それを知る機会を与える事を望んでいます。
討論会に出ている当事者達は残念ながら、
救うのは間に合わないでしょうが・・・・。
ちゃんとしたニュースサイトのソースを教えていただけたのは有益でした。
>こういった言葉が彼らの口から出てきたことに、未来への希望を感じられるような気がします
本当にその通りだと思います。
後は、その聖域とも言われる予算を削ったものを、赤字の埋め合わせではなくて、公立学校のカリキュラムの拡充と同時に(いまやってらっしゃいますね)、
無利子の奨学金制度の利用範囲拡大、高校の就職斡旋の強化に当てることを願います。
そして橋下さんには、自己責任の現実を教えるのと同時に、経済力の無い学生でも、
あがこうと思えば利用できる仕組み作りや、それを知る機会を与える事を望んでいます。
討論会に出ている当事者達は残念ながら、
救うのは間に合わないでしょうが・・・・。
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