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書き言葉は標準語だけどつっこんじゃいやん
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ちょっと話を広げて「権利と自由」「義務と責任」という対になる二つのことを考えていました。
 
本来子供には権利も自由も何一つ与えられていないと思ってます。親(保護者)や地域の大人、そして自治体や国で管理された社会は総出で子供を幸せにし、社会人になるまで育て上げる義務と責任を負うのだと。だから大人や社会が子供を守ったり、何かを与えたり、子供の意志で決めさせたり、というのは「子供の権利や自由」に配慮しているわけではなくて「大人の義務と責任」に由来する行為なのだと考えています。
 
本来子供は未熟で弱くて、一人で生きる術も自分を守る力も持たない。だからこそ大人や社会が育ててあげている。未成熟な子供に権利や自由が与えられるわけも無く、だからこそ大人や社会に義務と責任を課すことで「子供を守り育てる」ことを決しておろそかにしない至上命題として実現しているわけです。
 
いつから子供は大人になるのか?
子供が権利と自由を獲得し、義務と責任を負うのはいつからなのか?
大人が子供に対して負う義務と責任から解放されるのはいつなのか?
 
子供が成人したその瞬間からすべてのことが一気に切り替わる、なんてことは無いでしょう。段階的に少しずつ子供は自分に責任を持つ対価として自由を獲得し、社会秩序を守る義務を負う対価として権利を獲得するのです。
 
小学6年生になる12歳の健康な男児がパンをのどに詰まらせて窒息死しました。このパンは20年前から多いときには日に6万食も納入されたこともあるらしいですが、今回のような窒息死の事例は初めてらしいです。
 
12歳にもなる人間の子供に対して、大人は、学校は「パンの食べ方」について責任を持たなければならないのでしょうか?

この子供が12年間の間に「パンの食べ方」を教育されていないとしたら、それは学校だけの責任でしょうか?

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トラックバックありがとうございます。
トラックバックありがとうございます。
方向の近い意見をもった方が多いことに、うれしくもあり、少々びっくりもしています。
今後もお邪魔させて下さい。
ベースマン URL 2008/10/23(Thu)23:13:12 編集
コメントありがとうございます
ベースマンさん、コメントありがとうございます。
亡くなったのが子供だけに、死者にムチ打つような方面の意見は出にくいのかな~?と思ってましたがそうでもないようですね。
文明を持った人類には社会保障などのセーフティネットがあるとはいえ、弱いものや未熟なものが生き残れないのもある種の自然の摂理ですから、何事にも「悪人」を定義して袋叩きってのも文明人のすることかな~?って思いもあります。
まあくん 2008/10/25(Sat)00:24:24 編集
学校側の責任は重大!
教師が子供の安全を保障出来ないとすれば、親が子供についていなければならなくなる。
w田氏が小学校の時、給食の餅をのどに詰まらせた子がいました。その時の担任は、のどに箒をつんだり、最終的には屈強な男性教師が足をつかみ逆さにふりまわしたあげく、なんとか咽から餅を取り除くことができました。そのあまりにも壮絶な救急処置に悲鳴がとどろきいまだ(40年経っても)鮮明に記憶にあります。
消防庁のHPにも咽に異物が詰まった時の救急処置について掲載されておりますが、命を救うためには救急車が来るまでの処置に全てがかかっていると。
学校側が真剣に命の大切さを考えていたか、疑問は残ります。
早食い競争をしていた方が悪いでは済まされないのでは?
悪い事をしていた人間は死んで当然という風潮がありますが、命についてあまりにも軽々しい発想のように思います。

年間4000人近く異物をつまらせて窒息死して、パンでも多くの人が窒息死している現状を学校側の認識不足としか思えない。窒息死のワースト3がパンであること。窒息死の可能性が高い食物はいいかえれば、一番口にするものが多くなってあたりまえ。
まあワースト1の餅は正月の定番ニュースで危険性の認識は高いかもしれないが、ワースト2のご飯やパンはあまりにも日常過ぎるのかもしれないが、
学校生活で安全責任を負う立場の人間が死ぬまで適正なる処置をしない責任は問われるべきでしょう。
papaさん 2008/10/31(Fri)10:38:06 編集
コメントありがとうございます
papaさん、コメントありがとうございます。

残念ながら仰っておられることについて同意はできません。

事故発生直後の「救急救護」ということに関しては学校側の対応が十分であったか?という点で、今後同様の悲劇を回避するためにもきっちりと検証し対策を講じることは急務と言えるでしょう。
今回の場合は学校側に力不足の部分はあったのかもしれませんが、別に学校は「自分で詰まらせたのが悪いんだから」ということで救急救護活動を放棄したわけではありません。それなりに一生懸命対応したのだと思いますよ。したがって

> 学校側が真剣に命の大切さを考えていたか、疑問は残ります。
> 学校生活で安全責任を負う立場の人間が死ぬまで適正なる処置をしない責任は問われるべきでしょう。

このような物言いは過剰な反応、非難であるとしか思えません。

それに少なくとも救急救護というのはあくまでも「事故があった直後」に関しての話であり、死亡という結果の直接的な原因は「誤った食べ方」に他ならないと思います。これに関しては12歳という年齢を考えても児童の自己責任としか言えないでしょう。
自己責任とは自分で引き起こした原因による結果に責任を持てと言うことであって、他者から特定の結果を押し付けるものではありません。ゆえに

> 悪い事をしていた人間は死んで当然という風潮

自己責任という言葉にこのような認識があるのだとすれば、それは大きな勘違いであると言うほかありません。
まず責任の所在ありき、という論理の組み立て方をしておられるのではないですか?もしそうならばそれは単なる暴論です。

> 教師が子供の安全を保障出来ないとすれば、親が子供についていなければならなくなる。

そうしなくていいようになる子供の成長を「自立」といい、自立を助け促すのが「教育」です。
そして教育は学校だけがするものではなく、教育の第一の責任は家庭にあると思います。

12歳にもなってパンを食べるときに大人がついていなければいけない。そんなことは普通じゃないでしょう?
ですから亡くなった児童が普通の子なら自己責任ですし、そうでないなら教育の責任です。
教育に、その中でも特に普段の食育に問題があるなら学校だけを責めることはできず、もっと責めるべきところがあると思います。

今回の件では児童は普通の子らしいので(心身ともに障害はないらしいです)自己責任でしょう。ということになるのですがいかがでしょうか?
万が一にも家庭や児童本人への責任を回避することを第一義にして学校の責任を追及する姿勢をとる人がいれば、そういう人を「モンスターなんとか」というのでしょうね。
まあくん 2008/10/31(Fri)11:33:54 編集
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